日本画の森戸国次先生とお会いした際に感じたのは、会話を通じてロマンを現実に結びつけ、一つの詩のような雰囲気を作り上げることでした。僕自身も絵を学ぶ際に同様の雰囲気で取り組んでいました。スケッチ一筋といっても、スケッチそのものを絵にするという考えは一つもないのです。
スケッチをより上手く描くことで、何か特別なものが見えてくるのではないかという願いから、僕はスケッチに取り組んでいました。そのため、私にとってスケッチは一種の宗教的存在でありました。スケッチは目的そのものではなく手段でした。しかし、連日スケッチを続けることで、喜びを感じることがありました。スケッチを一時休止すると、自分の絵が品位を失うだけでなく、心の中のロマンまでもが薄れてしまうことを感じます。
そしてまた、スケッチをやめてしまうと、すぐ技術的にも下手になってゆくのがわかります。僕はどんなにスケッチしても、根っから上手にならないものだと変な感心をしますが、怠けると逆戻りしてしまい、上手なスケッチに戻るまでには、また長い時間がかかります。僕はそういう往復ばかり繰り返しいる中で、何かを見つけ出そうとしているわけです。
どんな絵でも描く人の真実の姿を見せてくれるものです。抽象であれ、写実であれ、絵は描く人の真実の姿の現れと思ってください。
僕はスケッチをもっともっとして、僕の詩に美しいものがついてくる日が、僕の絵の上手になる日と夢みてものを追っかけてゆきます。