はじめに。
誰しも「美しいと思った花や風景を感じる心が芸術のはじまり」と思っています。これは、絵が描ける描けない、プロとかアマとか関係がなく、美しいと思う心が芸術家だと考えています。美しいと思わなければ、絵を買う理由がないと思うからです。なので、見る人も芸術家なのです。
最近、日本人なのに日本画に関する話題をすると、ほとんどの人が詳しく知らないことに気づきました。話が進むとどんどん油絵の話になってしまうことがよくあります。私はその度に何となく苦笑いして、話題を変えてしまいます。日本の教育は、西洋文化が中心になっている傾向がありますし、学校で習う美術もほとんどが西洋画ですよね。
私が生まれ育った家は建具屋でした。襖や障子などの注文を受けて作っていました。襖を作っていたとは言っても、自分の家で描くのではなく、印刷されたものを張る作業でした。お客さんがカタログから好きな絵を選び、それを張ってお客さんに届け襖を設置していく作業でした。カタログの写真でしか見たことがありませんでした。また、その絵が何という絵なのかもわかりません。私だけかもしれませんが、田舎で育ったことも関係しているかもしれません。(●’◡’●)
その後・・・
20代の頃、チョットした趣味と思いで描いたデッサンをMOA美術館のメンバーの方に見せてあげたのが切っ掛けで、日本画の森戸国次先生を紹介されました。この先生も岡田先生を尊敬していたようでした。ここでやっと日本画と言う言葉と描き方を理解できることができました。日本画の最初の印象は、西洋画とは、違った描き方とは反対、描くのではなく作るようなイメージに感じました。だから写実的な描き方はあまり意味がない事に気が付きます。人が見て心に残ることが大事と言う事です。
実際には、先生の女性お弟子さんに習いしました。今も日展会員で活動していると思います。そのお弟子さんは高校卒業後、直ぐに日本画の世界に入ったようです。彼女は美大は出ていませんでした。
その時教えて頂いた内容は、「最初から道具をそろえるな!」でした。徐々にそろえて行きなさいと言う事でした。
僕が習った余白の美しさ
この話をする前に岡田茂吉の話をさせていただけなければなりません。今では、MOA美術館の創立者という印象が強いですけど、彼は昔は若い時は、東京美術学校を出て、岡倉天心先生にも指導をいただいていました。その後、指のケガの原因で蒔絵の仕事を辞めざるを得なくなりました。その後、「旭ダイヤ」という小間物問屋からビジネスマンとして成功し、大正時代頃には国際アカデミーでデザイナーとしても活躍されていました。彼は多様な経歴を持っていました。
また、彼は宗教家としても活動し、美に対する考え方が特に興味が深かったのです。彼は日本画において写実的な描写ではなく、空間を大切にし、一筆で描くことで精神を集中させる世界観を追求しました。彼の作品には気品があり、それにも憧れました。また、岡田先生の本も読ませていただきました。彼の本には、写実だけでなく、色を抑えることやキャンバス一杯に描かないことなど、見る人の立場を考慮する重要性が説かれていました。
余白の美しさ――日本画の魅力を探る
例えば、「桜の花がとてもきれい」と感じた場合、いろいろな植物と混ぜてしまうと、桜の美しさが消えてしまう場合があります。できるだけ不必要な花や枝を描かない方が効果が大きいです。
表現したいものが伝わり、誰が見ても美しい日本画を目標とし、シンプルに美を表現する感覚を高めるからです。
だから少なすぎると言う人がいますが、そういうのがよいのです。ですからいろんな物を混ぜますが、それは面白くないのです。
これが日本画の本質であり俳句、生け花など日本の芸術は、作者本人の気持ちではなく見る人のが、どのように見えるかを想像しながら描く芸術です。今までの絵画とは、考え方が反対の考え方です。
色を極力抑え、空間を使う技術の習得です。
これらの師匠たちから学んだことは、私の絵画に大きな影響を与えました。
私は日本画を描くことが好きであり、彼らの教えを守りながら、私自身のスタイルを追求し伝えていきたいと思います。
ただし、写実的ではなくと言いましたが、これから写生(スッケチ)をして、絵を描いていく上では、できるだけ詳細なスケッチは必要です。そのあとで省いていく作業がありますので、沢山の情報は必要です。