2024年1月5日
昨日は、箱根に行ってきました。朝、五時に出発。今日はあいにくの雨。箱根強羅につくと雨が雪に変わった。ヤバイ、帰れるかな?仕方がない。雪は降っているけど、何とかなりそうだ!雪は積もっていないな。
今日の目的は、ここ強羅の箱根美術館です。創立者は岡田茂吉氏が構想を練って奉仕者に直接指導をして作った美術館です。庭の岩や木などの建物は当時、茶室で有名な何て言う人だっけ?忘れたわ!何て言ったか?なんとかの伊右衛門ていう感じの人です。調べて見て下さい。岩を置くのに職人さんとも相当揉めたようです。当時は、日本との間ではアメリカでは戦勝中でしたからね!詳しく知りたい方は、本を買って読んでね!
当時は、お金が殆ど役に立たなかった時代ですからね。職人さんにお金を渡しても仕事してくれないんですよ!だからお米を出し渡したんですね。それで仕事してくれたんです。岡田茂吉氏は自分の家族でも節約させて、お米は職人さんに上げて、自分たちは質素な暮らしだったんですよ。 |
植木屋さんとも揉めたようですね。勿論、今みたいな機械、ユンボ―とかクレーンなんてないですよ。すべて人力です。ま~あ、美術館に行った人なら知っていますよね。
よく事故が起きなかったと思うと?あ、起こったんだ!ある人が指を落とす寸前の話がありました。青い屋根の瓦の建物が美術館です。その窓枠を取り付ける作業でした。何人かで窓枠が鉄で出来ていてそれを取り付けるとき、一人の作業者の両手指を挟まれていたという話があり、当時は、今みたいな救急車なんてないですよ。だって、日本は戦中でしたからね。戦争も後半ですから、電話で呼んでもほぼ来ない可能性が高いですよ。そんな余裕ないですから、健康保険なんてあったのかな?
そこで、岡田茂吉氏が自ら施術。当時は、浄霊と言っていたのですけどそれをして上げたのですよ。確か聞いた話がかなり深かったらしく?下手すると指が使えなくなる状況ですよ?医者に行っても当時は直せないと思います。でも、施術を岡田茂吉氏がして上げたことで、この方は不思議に痛みがそれほどなく、何日かかったのか忘れましたがその後は通常通り今までの仕事ができるようになったようです。
そのほかの話とそて、人のお金を盗んだ話とか?でも直ぐに警察にぶち込んだんでは無いですよ!内容は忘れたが最終的に仲良しになった話だったか?忘れました。
そして、僕の話に戻りますけど、本当はスケッチをしようとしていたのですが、何を描いたら良いのか?花が咲いていないし、何処か絵になる物はないか探していました。あっち事探していたのですが、自分が悪いのか?仕方がなく苔庭にある橋を仕方がなく描いていました。それと人がいてるので邪魔にならないように気遣いをしてしまって。結局、戴したものは描けませんでした。 |
こういう時って、何だか見放されたような感じがして残念な気もとに陥るのは僕だけでしょうか?
ただカッコいいな~と思ったのは、風景じゃなくって写真でした。凛とした立ち姿で立っている岡田茂吉氏の写真でした。それだけかな!
なんか?まとまっていない、ブログだな。